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【質問】
私は会員ではありませんので, 質問可能かどうか分からないのですが, もしよろしければ教えてください。私は現在,
米国, イリノイ州のNorthWestern大学にて地下水の汚染に関する研究に携わっています。実は研究上,
地下水から分離された微生物の同定を行う必要が生じ, 16s rRNAの塩基配列を調べ,
汎用DNAデータベース (FASTA, BRAST) により, 相同性チェックを行いました。しかしながら得られた相同性のスコア
(94%, 92%など) と同定精度との関係の判断基準が分からないのです。たとえば94%なら,
属レベルまで同じで, 98%なら種レベルまで同じである可能性が高い, というような目安はあるのでしょうか?
また, そのような内容に関する適切な文献等ございましたら, ご紹介願えませんでしょうか。どうぞよろしくお願い申し上げます。
【回答】
このご質問への回答に先だって, 微生物の分類・同定とは何なのか? また,
同定はどのような基準に基づいて為されてきたのかについて知ることも, 理解を深めるうえで必要と考え,
以下に要点のみ簡潔に記載してみますのでお付き合い下さい。要するに, 分類学は「分類:
Classification」・「命名: Nomenclature」・「同定: Identification」の3分野から成っていて,
「分類: Classification」と「同定: Identification」とは同意語ではないのです。この辺りを最終的にご理解いただければ幸いです。
1. 分類学の起こりと流れ
生物の分類については, 半世紀前まで生物系統論が諸説飛び交う状況にありました。生物系統論は,
19世紀初頭に細菌 (バクテリア) の存在が明らかになり, 生物を動物と植物の2大生物界に区分するという当時の常識が通用しなくなったことに端を発して盛んになりました。この後いくつかの生物多界説が発表されたのですが,
このうち最も洗練されたもののひとつであるWhittakerによる5界説 (1969) でさえ,
その分類指標は主に形態を中心にしたものだったのです。そして漸く20世紀後半になって様々な分類法が確立し,
現在では3ドメイン説が広く支持されるように至っております。
2. 表現型的識別による分類法
初期の頃のバクテリアの種の分類と同定は, 主にこの表現型を中心にした分類がなされていました。つまり;
◎ 形態学的性状 (集落性状やグラム染色所見など)
◎ 生化学的性状 (糖類の発酵・アミノ酸同化作用・酵素活性など)
◎ 数値分類学的分類 (多種の生化学的性質を同等の因子として扱い, それらを基にして相似度を計算し,
類縁性の指標にする)
◎ 機能による分類 (偏性嫌気性・微好気性・通性嫌気性・偏性好気性・自家栄養菌・従属栄養菌・無力栄養菌など)
などです。
3. 化学分類法
1950年代より, 遺伝を司どる遺伝子の物質的基礎がDNAにあることが明らかにされると,
DNAの塩基組成や相同性に基づく微生物の類縁に関する研究が進みました。分子生物学の発展を受けて,
二次代謝産物としていた従来の化学分類とは異なる, 微生物の生命の維持に不可欠な細胞の構成成分や,
その生合成経路などが分類の指標となることが見出され, 化学的分類が急速に発展しました。
◎ 細胞壁構造: ペプチドグリカンのアミノ酸組成比・グラム陰性桿菌のリポ多糖体の構成糖や脂肪酸組成など
◎ キノン (ユビキノン・メナキノンなど): イソプレン側鎖の長さと飽和度で分子種が同定でき,
これが分類指標となる
◎ DNAのGC%: 原核生物ではGC%が非常に広い範囲に分布しているのですが,
真核生物はどれも50%前後を示していることから, 分類の指標にはなり得ません。GC含量がより近似を示す生物ほどより近縁関係にあることが知られていますが,
その逆は成り立ちませんので, 明らかに大きく離れている生物種間の比較をGC%で行うことはできません。例えば一例として,
大腸菌 (Escherichia coli) と腸内細菌科のモルガネラ菌 (Morganella morganii)
のGC%はともに50%前後で一致していますが, まったく別の属に分類されており,
遺伝学的にも近縁関係にはありません。
GC%は, DNAを加熱によって変性させると, その260 nmにおける吸光度が約40%増加することに基づいています。すなわち,
吸収の増加が50%に相当する温度を変性温度Tmと定義すると, TmとGC%の間には,
実験的に下記の関係式が成り立つことが知られています。なお, Tm1℃がGC 2.4%に相当するので,
Tmの測定は非常に高度な精密さが要求されます。
Tm = 69.3 + 0.41 GC (Marmurの式)
◎ 脂質組成: 種や属レベルで特有なリン脂質組成があり, その組成パターンを分類指標とする
◎ DNA/DNAハイブリッド形成: ある基準株のDNAが第2の株のDNAと反応してつくった2本鎖DNAの量と,
同じ基準株DNA同士が同じ条件で形成する2本鎖の量との比率で, 「DNA相同性は何%である」と表現する。GC%が厳密な実数として存在し得ることとは対照的に,
あくまで実験値であることに注意が必要
4. 現代の分子系統学
微生物の分類指標としては, 広範な生物を同じ指標で比較することが根本であるため,
どの生物にも存在し, かつ系統発生的にある程度保存されていることが要求されます。その候補としては第一にDNAが挙げられるわけですが,
これは微生物によって情報の絶対量が異なるという欠点があります。そこで, 現在最も意義のある方法として,
16S rRNAの配列を指標とする分類が採用されているのです。16S rRNAは微生物種間によるサイズの差異が小さく,
またチトクロームCと並んで系統発生的に保存されているうえ, あらゆる微生物に普遍的に存在しています。つい最近ではDNA
gyrase Bの塩基配列も分類指標として16S rRNAと同等の意義があることが確認されつつあります。
ここで, 少し歴史的に振り返ってみましょう。
1970年代には, DNA/RNAハイブリッド形成により, DNAとrRNAをハイブリッド形成させることで,
DNAのうちrRNAをコードする領域の微生物株間の相同性を探る手法が検討されました。しかし1980年代以降は,
16S rRNA配列 (約1,500 bpの配列) のうち, 保存領域を除く可変領域の塩基配列を比較することで系統分類するという手法がもっぱら研究されて来ています。しかしながら,
以下に示すディメリットをもつことを考慮しなければならないのです。つまり,
◎ 16S rRNAによる分類学上の問題点
・形態的分類との相違がある (同じグループに球菌と桿菌が共存しているなど)
・グラム陰性菌/陽性菌が同一のグループに存在する場合がある
・好気性/嫌気性菌が同一のグループに存在する場合がある
などです。
さて, この1980年代には, 5S rRNA配列 (約120 bp) を用いた広範囲な生物の系統樹が作成され,
その成績が化学分類による知見とよく一致したため, 系統分類・菌種同定の指標としての有効性が示されました。しかし情報量の制限から,
近縁な微生物の識別が困難なことから, 現在では16Sが主として利用されていると言う経緯があります。
1990年代に入ると, DNAトポイソメラーゼII型に属する酵素, DNAジャイレースのβサブユニットであるDNA
gyrase B配列 (gyrB) の塩基配列を指標にする分類が検討され始めました。
バクテリアは基準株 (type strain) とのDNA-DNAの相同性が70%以上の場合,
同種であると定義されています。しかしDNA-DNAの相同性と分類指標の主流である16S
rRNA配列の相同性には相関はありません。繰り返しますが, 相関は見られないのです。従って,
16S rRNA塩基配列を用いた菌種同定には注意が必要なのです。一般的には, 97%以上の相同性があれば類縁関係があり、99%以上であれば同種である可能性が高いとしています。しかしながら,
あくまでも何%の相同性を有していると言うことであって, 属レベル・種レベルの問題とは切り離して考えなければならないのです。上述しましたように,
仮に99%の相同性が観察されても, 種どころか, 属レベルで異なる場合さえ考えられるのです。極端な例では,
100%の相同性が認められても, 属レベルで異なる例さえ示されているのです。そのような実例の一部についてEnterococcus属菌を例にして,
以下にお示しいたします。
E. durans, E. faecium, E. hirae, E. mundtii の4菌種は, 16S rRNAのsequence
similarity が98.7%から99.7%の間にあることが示されており(文献1), またE.
avium, E. raffinosus, E. malodoratus, E. pseudoaviumの4菌種は, 16S rRNAのsequence
similarity が99.3%から99.7%の間にあることが報告されています(文献1)。さらに,
染色体性のvanC遺伝子を保有することで近年注目されているE. casseliflavusとE.
gallinarumとは, 16S rRNAのsequence similarity が99.8%であることが確認されております(文献1)。一方,
E. solitarius と Tetragenococcus は属レベルで異るにも関わらず, 16S rRNAのsequence
similarity が98%であることが示されており(文献2), さらに興味深いことには,
E. seriolicida の type strain (ATCC 19156株) は, Lactococcus garviae との比較で,
16S rRNAのsequence similarity が100%であることが明らかになっているのです(文献3)。つまりは,
16S rRNAのsequence similarityが100%であっても, 種ではなく, 属レベルで異なるのです。ということから,
16S rRNAのsequence similarity を分類にそのまま適用するには, 乗り越えなければならない問題点が存在することから,
16S rRNAより進化速度が速く, 普遍的に存在するgyrBが注目を浴び始めたのです。実際,
この結果はDNAハイブリダイゼーションの結果と極めて良く一致しており, 今後多くの微生物種
(株) についてのデータが蓄積されれば, 16S rRNAを凌ぐ指標として利用されることが期待できると考えられています。
従来, 病院などの医療機関における細菌検査では, 同定までに数日〜数週間を要していたのですが,
現在ではDNAの増幅→DNAチップとのハイブリッド形成の過程を含めて, 原因微生物の同定では驚くほどの時間短縮化が検討されてきています。
以上のように, 歴史的に様々な指標を用いて生物を分類・同定しようとする試みが続けられてきたのですが,
その流れは人為分類から自然分類への方向で一貫して来ています。つまり, 以前は認めやすい性状に注目して便宜的・実用的な分類を行っていたのに対し,
現在では遺伝情報に基づいた客観的・数値的な分類がなされるようになりました。こうして,
これまで分類し得なかった微生物などに関しても, データに基づく分類が可能になったのです。しかし,
いわば連続的な多様性を持つ微生物を分類することはあくまでも人為的な仕事であることを忘れてはならないし,
最終的には分類・同定した結果が, 患者の感染症診断と治療および治癒判定や,
人類の生活にどう貢献するか, といった観点から, 初期に行われた表現型による分類などが決して軽んじられるようなことがあってはならないと思われます。以上,
お示ししましたように, 分類の指標として (同定ではなく) 用いられている16S
rRNAでさえ, 完璧に満足に説明のつく分類がなされているわけではないのです。従って,
究極の分類指標を求めることに加えて, 様々な分類法による成績を総合化・統合化していくことが今後はより一層求められていくと考えます。
1) Collins, MD, Williams, AM, and Wallbanks, S: The phylogeny of Aerococcus
and Pediococcus as determined by 16S rRNA sequence analysis: description
of Tetragenococcus gen. Nov. FEMS Microbiology Letters. 70: 255〜262. 1990.
2) Williams, AM, Rodrigues, UM, and Collins, MD: Intrageneric relationships
of enterococci as determined by reverse transcriptase sequencing of small-subunit
rRNA. Research in Microbiology. 142: 67〜74, 1991.
3) Devriese, LA, Pot, B, and Collins, MD: Phenotypic identification
of the genus Enterococcus and differentiation of phylogenetically distinct
enterococcal species and species groups. Journal of Applied Microbiology.
75: 399〜408, 1993.
(信州大学・川上 由行)
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