■ ヘモフィルスの炭酸ガス要求性, 動物血液依存性について
【質 問 1】細菌は, 発育に二酸化炭素を必要としますが, その中でも特に Haemophilus 属菌は他の菌より多く必要とするのはなぜですか?

【質 問 2】Haemophilus 属は, ヒツジ血液寒天培地には発育せず, ウマ・ウサギ血液寒天培地では発育するのはなぜですか?(これは, ヒツジ血液に V 因子を壊す酵素が RBC 中にあるというところまで文献検索をしてわかりました。私は, 何の酵素なのか知りたいです)

【回答 1】確かに, 二酸化炭素の存在は多くのバクテリアに対して発育促進的に作用することが知られていますが, Capnocytophaga 属菌等は別として, 二酸化炭素の存在が必須であるバクテリアはそう多くはないのです。そしてHaemophilus 属菌も, その環境 (高炭酸ガス環境) 下で発育が促進される菌群の一つなのです。つまりは, 高二酸化炭素状態はHaemophilus 属菌にとって, 発育に適している環境なのです。では, なぜ適しているのでしょうか? Haemophilus 属菌は、厳格な意味での寄生性微生物で, ヒトを含む動物の (特に) 呼吸器系に棲息しています。Haemophilus 属菌は発育に際してのエネルギ−の獲得にグルコ−スを発酵することが出来ますが, エネルギ−としての ATP の合成に必要な TCA サイクル (Krebs サイクル) の中の少なくとも3つの酵素系, すなわちクエン酸生合成酵素・イソクエン酸脱水素酵素・アコニット酸合成酵素の3つの酵素が欠如しているのです。

 ここで TCA サイクルの一般的な事項をおさらいしますと, (1) 解糖系終末産物のピルビン酸はピルビン酸オキシダ−ゼによって酸化的燐酸化を受けてアセチル Co Aを生じ, (2) オキザロ酢酸と縮合してクエン酸ができ, (3) アコニタ−ゼでシスアコニット酸から, (4) イソクエン酸に変わり, (5) イソクエン酸脱水素酵素で脱水素されてオキザロコハク酸を生じます。(6) さらにオキザロコハク酸脱炭酸酵素で脱炭酸されてアルファ−・ケトグルタ−ル酸になり, (7) アルファ−・ケトグルタ−ル酸オキシダ−ゼによって酸化的脱炭酸され, サクシニル Co Aを経て (8) コハク酸が生成されます。(9) コハク酸はコハク酸脱水素酵素で脱水素されてフマ−ル酸になり, (10) フマラ−ゼによってリンゴ酸に変わり, (11) リンゴ酸脱水素酵素によって脱水素されてオキザロ酢酸が (12) エノ−ル化されて再びピルビン酸と縮合してTCAサイクルに入り込みます。このサイクルに沿って順に1周反応を済ませると, 5対の電子がフラビン酵素やチトクロム系を通じて酸素に伝達される (電子伝達系) 一方で, 3分子の二酸化炭素が放出され, これに発する経路における酸化的燐酸化反応によって16個の ATP が産生されます。

 しかし, Haemophilus 属菌は上述した少なくとも3つの酵素が欠如しているためにこれらの反応が進行できず, 従って二酸化炭素の放出も出来ないのです。Haemophilus 属菌には, ピルビン酸からリンゴ酸に通じる経路やエノ−ルピルビン酸リン酸からエノ−ルピルビン酸リン酸カルボキシラ−ゼによってオキザロ酢酸に通じる経路が知られていますが, これらは還元的に二酸化炭素を取り入れて行われる経路なのです。二酸化炭素の供給が不十分になりがちな Haemophilus 属菌では, このような観点から二酸化炭素に富む発育環境を好むと考えられます。

 Haemophilus 属は上述したように, 主にヒトでは上気道の常在細菌として存在しています。ご存知のように気道および肺胞内の二酸化炭素分圧は外気の数十倍から百倍以上高く, 上気道に常在しているバクテリアがその環境を好むことは容易に推測されると思います。ご質問の趣旨から外れているかもしれませんが, このことは生物の存在様式を語る上で重要なことなのです。
 生物は, 種を存続させるために環境に適合した代謝を営む必要があります。また, そのために遺伝子を変化させ (遺伝子は決して普遍的ではありません。) 現在の形にまで進化し, さらにこれからも進化させ続けていくのです。

 Haemophilus 属菌の DNA 全塩基配列は, 他の生物に先駆けて1995年に決定され, 科学雑誌 Science に発表されています (Science Vol.269: 496〜512)。それによれば, この菌には 1,750 個の遺伝子の存在が推定され, その約6割については, 機能が判明しています。エネルギー代謝に関わる部分についても 105 個の遺伝子が既に判明しています。二酸化炭素を多く必要とする菌群とそうでない菌群との比較において上記の遺伝子の量・質的解析を行う必要がありますが, 現在のところ未だそのデータの詳細は示されておりません。
 

【回答 2】ご存知のようにHaemophilus 属菌は X 因子および V 因子の両方もしくはいずれか一方を発育に際して要求し, X 因子の本体は protoporphyrin IX, 鉄イオンを含有する protohem または hemin や hematin を含む物質であるとされています。では, V 因子の本体はと言えば, nicotinamide mononucleotide, nicotinamide adenine dinucleotide (NAD) または NAD phosphate (NADP) で易熱性であるとされています。それではどのくらいの易熱性かというと, 100℃でグラグラ煮た程度では壊されず, また 121℃数分の加熱 (通常の高圧滅菌処理) で漸く破壊される程度の易熱性なのです。

 この V 因子は多くの動物種 (ヒツジ・ヒト等も含む) の赤血球中に存在し, もちろん赤血球外へも出てきています。確かに, ご質問にあるように Haemophilus 属菌はヒツジ血液寒天培地には発育せず, ウマ・ウサギ血液寒天培地では発育します。それでは何故, ウマ・ウサギ血液寒天培地以外では発育不能なのかというと, ご指摘のように V 因子を壊す酵素がウマ・ウサギ以外では赤血球中に多量に存在するからです。実は, 多くの動物種の赤血球中にはこの V 因子を破壊する酵素であるdiphosphopyridin nuclease や nicotinamide adenine dinuclease が存在するのです。これらの NAD や NADP 等の V 因子を破壊する酵素は, もちろんウマ・ウサギ血液を含む総ての動物種の赤血球中に認められるのですが, ウマ・ウサギの赤血球中には他の動物の赤血球と比較してその酵素量が著しく少ないのです。ですから, ウマ・ウサギ血液寒天培地では Haemophilus 属は発育可能なのです。でも, このウマ・ウサギ血液も加熱によりチョコレ−ト寒天培地にすれば, 血液寒天培地と比較してその発育性は著しく向上します。これらの V 因子破壊酵素が加熱処理により熱変性されることによって, V 因子が破壊されなくなるからです。つまり, ヒツジでもヒトの血液でもチョコレ−ト寒天培地にすれば発育可能になるのです。
 

(信州大学・川上 由行)

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