■ 抗酸菌の日本語表記 | |
【質問】
突然のメールで失礼致します。私は医療関係の翻訳の仕事をしているものですが, 珪肺症についての症例報告を翻訳している途中です。そこで出てきたのが, M kansasiiとM tuberculosis, M avium complexという単語でした。医学辞書やインターネットで抗酸菌について調べてきましたが, M tubeculosis (人型結核菌)以外, すべて英語表記となっていて, 日本語名が載っていませんでした。これらの菌種名には日本語名はないのでしょうか??? 大変私事で申し訳ございませんが, よろしければ是非, お答えしていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。 【回答】
(1) M. tuberculosis (質問文には M の後の“省略”を示すドット・ピリオドが抜けていました) は確かに「ヒト型結核菌」と呼称することがあります。なお「ヒト」はカタカナ表記で, 漢字の「人」は通常は使用しません。また, M. tuberculosis complex と M. tuberculosis を細菌学的に明確に識別することも容易ではないのです。通常は, M. tuberculosis はM. tuberculosis complex 「結核菌群」に含まれます。M. tuberculosis complex は「ヒト型結核菌」とは呼びません。 (2) M. avium (これも, 質問文には M の後の“省略”を示すドット・ピリオドが抜けていました) は「トリ型結核菌」と呼称することがありますが, ご質問のM. avium complex は M. avium とは必ずしも同じではないのです。M. aviumは, M. avium complex に含まれます。ですからM. avium complex は「トリ型結核菌」とは言いません。 (3) 最後に, M. kansasii (これも, 質問文には M の後の“省略”を示すドット・ピリオドが抜けていました) ですが, これには日本語表記はまったくないと思います。 そもそも菌種名は, 大昔から知られているごく一部のものについて和名が付けられていますが, 細菌の分類学は急速に進歩して, 昔の和名が通用しない新しい分類体系によって菌種名が整理されています。結核菌が含まれる Mycobacterium 属もその例外ではないのです。Mycobacterium 属に限らず, 今では菌種名を日本語に置き換えて使用することは, 医学の世界ではなくなりつつあります。すべて学名表記が一般的になってきています。ですから, いわゆる「結核症」はM. tuberculosis によって引き起こされる感染症です。翻訳の中で, 三つの菌種名を識別しなければならない必然性があるのか否かが知りたいところですが, もし必ずしも必要がないのであれば, 「非結核菌群」としてM. kansasii と M. avium complex をまとめて翻訳してしまうのも一つかなと考えます。あるいはM. kansasiiをラニヨン (Runyon) I 群菌, またM. avium complex をラニヨン (Runyon) III 群菌と表記するのも一案です。(なお, 私はお薦めしませんが, 結核菌群以外の抗酸菌を「非定型抗酸菌」または「非結核性抗酸菌」として一括表記する分類もあります) 翻訳されている内容が, 医学領域の専門家向けのものだとしたら (多分, そうなのでしょうか), 学名表記のままが一番適当なのではないでしょうか。さもなくば, M. tuberculosis を「ヒト型結核菌」, M. avium を「トリ型結核菌」, そして M. kansasii は和名がないのですが, 例えば「カンサシー菌」とでもして, 正式な学名を《》(カッコ内に) 表記して付すと言うのは如何でしょうか。 いずれにしましても, 学名表記を和名表記に翻訳するのは無理があることをご理解下さい。 (信州大学・川上 由行) |