09/01/26
■ 芽胞染色でのマラカイト・グリーン
【質問】
 ●●大学の■■と申します。「芽胞染色」についてお尋ねします。

 Wirtz法で芽胞がマラカイトグリーンで染まる原理はわかっているのでしょうか??? 芽胞は染色性が悪いので, サフラニンで重染色されないだけかという気もするのですが。よろしくお願い申し上げます。

【回答】
 実に難問です。しかし, 質問に対して精一杯答えたいと思います。

 芽胞染色法には, Moeller法とWirtz法が一般的に知られています。Moeller法は5%クロム酸液で脱脂後, チールの石炭酸フクシン液で加温染色をします。直ちに硫酸水で分別をしてからサフラニン染色します。他方, Wirtz法では手法がかなり異なります。

(1) 脱脂などの前処理がない。
(2) マラカイト緑を用いる。
(3) 分別のステップがない。

の3点がMoeller法と最も異なる点です。また, (2) の段階で加温染色する方法もありますが, 加温染色せずに染色する方法もあります。ただし, 加温染色しない方法の際には“飽和”のマラカイト緑染色液が用いられます。

 ここで, 芽胞は色素液を取り込みにくく, ほとんどの色素で染色されにくいということがあります。そもそも芽胞は, グラム染色でもレフレルのメチレン青単染色でも染色されない領域として抜けて観察されます。つまり, ゲンチアナ紫, クリスタル紫, またメチレン青やサフラニンなどの色素液に難染色性です。

 さて, マラカイト緑の色素そのものについて考えてみます。マラカイト緑はpH 2以下では黄色ですが, それ以上の高いpHでは緑色, pHが高くなるほど鮮やかな緑になります。一般的に, ある色素液で染色される現象は, 色素液が「静電気的にイオン結合」して染色することで説明される場合が多いです。しかし, これ以外のいくつもの機構が考えられています。芽胞染色の場合, 芽胞の荷電状態はpH 6.5付近で陰イオン化しており, 弱塩基性色素であるマラカイト緑と「静電気的にイオン結合」して染色されると考えられます。もし染色性が悪ければ, pHを少々高めに設定することで解消されるかも知れません。また, マラカイト緑の代わりにメチル緑が使用される場合もあります。ここで, 他の色素液では難染色性なのに, なぜマラカイト緑では染色されるのか??? しかも飽和染色液であれば加温操作を省略しても染色できるのは何故か??? さらには, 分別ステップがないのに, 菌体がサフラニンで赤く染まるのは何故か??? という疑問が出てくるのは当然です。

 質問者が指摘しているように,「芽胞は染色性が悪いので, サフラニンで重染色されない」のでしょうか??? だとしたら, マラカイト緑でいったん染色された緑の上に, サフラニンが重染色されて赤くなるのでしょうか??? どうもそんなに単純ではないようです。そもそも芽胞と違って菌体は, マラカイト緑でしっかり染色されにくいようです。しかし, 緑っぽく染色はされます。にもかかわらず, 出来上がりの観察では菌体に緑色の痕跡すら観察することが出来ません。単純な重染色で, マラカイト緑の緑色がサフラニンの赤に塗り替えられるのではないようです。意外かも知れませんが, サフラニンには、「脱色作用」も知られています。ここで言う「脱色」とは, 既に取り込まれている色素を除去して, その除去した色素の代わりに取り込まれる現象を言います。つまり, サフラニンの色素とマラカイト緑の色素が置き換わるのではないかとも考えられます。ちょうど, イオン化傾向の違いを利用して「メッキ」が行なわれるように。でも芽胞については, 一度取り込んだ色素は置き換わることがないということなのでしょうか・・・これには, イオン結合する物質の多少が大きく影響していると考えれば説明付けができます。ですから, サフラニンの染色時間が長くなれば, 芽胞までもが最終的には緑ではなくて赤くなってしまう可能性です。

 では, なぜマラカイト緑は加温しなくても染色可能なのか??? 換言すれば, なぜマラカイト緑の色素が取り込まれるのか??? という疑問が出て来ます。色素の分子量の差が染色性 (染色色素の取り込み) に影響しているのでしょうか???マラカイト緑は塩酸塩として存在している弱塩基性の色素がよく利用されますが, その分子量は364.922です。また同じ塩基性色素のメチル緑では458.479です。でも, 芽胞を染色しにくい, 例えばサフラニンOの塩基性色素の分子量は, マラカイト緑よりもやや小さい350.854です。つまり, 分子量からは染色性について説明できません。結論から言うと, 私が知る限り, マラカイト緑が芽胞を染色できる機構についてはきちんとした説明はされていないと思います。形態学の分野の, 特に染色の領域については, 事実としての現象が記載され, その現象が改良されて今日に至っているものが多く, それらの染色機序の解析や解明についてはされていないことだらけなのが実状だと思います。大昔から知られているグラム染色の機構でさえ, 100年以上の研究を経てもなお完全な解明には至っていないことからも類推できます。

 質問者の質問に対して、真摯に答えるとすれば,「Wirtz法で芽胞がマラカイト緑で染まる原理は未だ明確に解明はされていない」また,「芽胞は染色性が悪いので, サフラニンで重染色されないといった単純なものではない」ということだと思います。少なくとも, 重染色によって緑に赤が上塗りされて赤くなるのではないことは確かなようです。

 とにかく, 判らないことだらけなのです。解明への糸口をあなた自身が探求して行ってみませんか。そして, 解明した暁には, ぜひ世界へ向けて発信してください。期待しています。

(信州大学・川上 由行)


【質問者からのお礼】
 ご丁寧な回答をどうもありがとうございました。染色とはいかに不思議なものなのか, 改めて認識しております。そして, 経験から染色法を固定した先人に尊敬の念を。


戻る