FAQ(よくある御質問とそれに対する答え)

Q;
「私のお父さん(お母さん)ががんで死んだ時には、最後まで隠しておいたが、安らかな死を迎えることができて、今でも告知しなくて良かったと思っている。」
「告知しなかったが最終的に受容していくケースと、告知したにもかかわらず受容に至らないケースがある。」

A;
勿論、「告知したために上手くいかなくなった様に思えるケース」や「告知しなくても上手く行ったケース」があることは、承知しています。しかし、前者「告知したために上手くいかなくなった様に思えるケース」に関しては、告知した事が悪かったのではなくて、告知したあとのフォローが悪かったのだと、私は考えます。
また、後者「告知しなくても上手く行ったケース」は、「たまたま上手く行っただけ」という可能性も考えておくべきと思います。「告知しなかったために上手にいかなくなった可能性」や、「告知していればもっと上手くいった可能性」もあるのではないでしょうか。
実際に、その経験のある家族が、告知している場合は告知賛成波に、告知していない場合は告知消極波になるのは分かります。誰しも、自分の行なってきたことを、否定するのは辛いものです。しかし、客観的な、理論的な、思考だけは捨てないようにしましょう。

Q;
「おまえは、何の権利があって、苦しんでいるヒトに更に辛いがんの告知をするのだ」
「知る権利もあれば、知りたくない権利もある。一方的に、告知するのは傲慢ではないか。」

A;
権利があって行なっているとは思っていません。平等に情報を公開しているだけです。
逆に伺います、
「あなたは、何の権利があって、患者が当然知るべき権利を奪い、治療を受ける、もしくは受けないという選択、どのような治療法を受けるかという選択を奪っているのですか? 
何の権利があって、患者に家族および医療従事者は嘘の情報を与え、その苦しみに耐えさせるのですか??」
患者には自分の病気や病状を正確に知る権利があります。そして、医療従事者にはそれを正確に知らせる義務があります。
では、知りたくない権利というものはあるのでしょうか?
これこそが、日本の「患者に病名告知できない医者」の考え出したうまい言葉のような気がします。
「知りたくない」というのは、全ての人の気持ちではないでしょうか。
例えば、今私が末期がんであったとしても、勿論それは知りたくない。しかし、知りたくないのと、知らなくてもよいのは次元が違います。本当に末期がんであったならば、その後の様々を整理するために、元気なうちに、知らせてもらわなければ困ります。
従って、「知りたくない」というのはその人の「気持ち」であって、「権利」ではない。
「知りたくない権利」というフレーズは、結局、「患者に病名告知できない医者」の自己防衛の言葉にしか過ぎません。