2007年11月の日記

2007.11.1.(木)
眠っている間にも、討論を考えていたようだ。朝一番のはくたかの中で、3ページに渡る再々議論文を書く。上越に着いてから、メールで送る。さて…
午前中実家の診療は比較的ヒマだったので、土曜日班会議の発表用ppt作成。今までは膠原病屋さん達が相手だったが、これからはリンパ腫屋さん達も巻き込んでいかないと。
午後より、近くの保育園の検診130人。1歳児なんて一人が泣き出せば皆連れて泣き出すので内科医には手におえませんわ。4歳児くらいになると「どうもありがとうございました〜」とお礼を言ってくれる子も居たりして、可愛い。しかし、正直子供は苦手だ〜
その後は、山奥のデイサービスへ。今度は80〜90超の老人の診療。ここで出来る事は限られている。正直老人も苦手だ〜
朝のメールには比較的好意的な御意見をいただいたので、今回の議論はこれで良しとしよう。後は、研究会当日のディベートで。
母と近所の漁華へ。シメサバ、タコ唐揚げなどいただく。
少々飲み過ぎ。いつの間にか、コタツで眠っていた。少し前まで医龍2を見ていた気がするんだが、いつどうやって眠ってしまったのか?

2007.11.2.(金)
朝何とか起きたものの、けだるい。朝食もやっと食べて  …  
午前中の外来中に  気持ち悪くなって  vo m i t する。
午後からは特養でインフル接種。
金沢へ戻り、少し医局で仕事。明日の準備…

2007.11.3.(土)
肝心の準備(配布用資料120部)を作り忘れていた事に気づき、5:30慌てて医局へ。それからダッシュで、金沢駅へ。なんとかセーフ。
吉村達也「生きているうちに、さよならを」 初めは生前葬の話でなんだかな〜と思って読み始める。しかし、二転三転波瀾万丈な展開に、最後は論理的な決着。推理小説ではないけど、こういうのなら好きです。
kinoshitahanhankaigi@nagoyadaigakubyouinn。
G4の話を発表。今までは主に自己免疫/膠原病屋さん相手に展開していたが、これからはリンパ腫屋さんも巻き込んでいかないと。
会終了後引き続いてivl治療研究会。PS4は入れない事になり、自身の主張は大幅にゆずる。それでも多施設で前向き研究するために、進んだから良しとしましょう。(PS4は北陸で展開するしかないか?)一人一人の捉えているivlという疾患概念に、かなり差がある事も事実。
帰りの電車にもギリギリセーフ。
小松秀樹「医療の限界」 医療の崩壊を食い止められるか? 立ち去り型サボタージュをどう解決するか? 厚労省にこの内容は響いているのか?

2007.11.4.(日)
眠〜い。朝、父を見舞ってから、家でゴロ寝。
町民文化祭へ。モモはプラバン、フラワーアレンジメントなど。後は食い気? 
一家で、んまい屋へ。秋味もんじゃ(きのこ)、3種玉、エビ玉を。
ミハを塾へ。帰りの車中で、ポケモンしりとりを。なかなか難しい。
小沢一郎突然の代表辞意表明。大連立話をまとめきれなかった事の責任? こんな状態で大連立されたら、納得する有権者は少ないと思うし、断って当然だが。小沢さんは連立したかったのか…?
ワールドカップバレー 日本vsセルビア。一時的にメグカナコンビ復活し、逆転勝利へ期待つなぐ流れも、惜しいっ! しかし見ていて力の入る試合でしたね。

2007.11.5.(月)
朝からsubmitを試みる。やたら面倒くさい。間にちょこちょこ外来に呼ばれながら、ほぼ一日がかりでsubmit。うまく行きますように。あとは祈るだけ。
小沢さんは何をしたいのか? 不明? 
CCS検鏡check。君たちは口数が少なすぎる。間違ってもいいので、何か喋ってくだい。 
民意はね 大連立など 望んでない

2007.11.6.(火)
fibrinogen使用実態調査。古い紙カルテ〜マイクロフィルム〜外科の手術記録まで閲覧す。
3回目の査読を送り返す。これでacceptで良いでせう。
感染症報告/針刺し事故などのPC入力報告システムの説明会。やらねばならない事は分かるが、あまりユーザーにとって使い勝手の良く無さそうな箇所について、突っ込む。どうせなかなか改善してくれないのだが、言うべき事は言っておかないと。
遺伝子組み換えによりできた6時間走り続けるマウス。開発者は「この技術は人に応用すべきではないと」。それはそうでしょうけど、では、何のための技術?
父は悪寒戦慄を伴う発熱でグッタリ。SaO2も低め。こんな事を繰り返して、弱っていってしまうのだろう。身内はやはり客観的に診れないので、主治医に託す。
ivlの論文を進める。が、遅々として進まない。
僕たちは 走り続ける ネズミです

2007.11.7.(水)
父は解熱。頼むぜオヤジ!
森田実さんのHPより小沢辞任表明についての各紙における談話:
「人間にとっては、何でも思い通りになるということは、あまりよいことではない」
(ヘラクレイトス、古代ギリシアの哲学者)。誠にその通りと納得。
外来。予約は少ないはずだが、そこそこ時間はかかる。
1週間 あっと言う間に 水曜日

2007.11.8.(木)
実家の診療、いんふる予防が入るため午前中は大盛況。
しまった、MacのDCケーブル忘れてきた。内臓電源もあまり無いぞう。仕方なく、母のWindowsにデータを移して仕事する。
夜は梢でチキンチーズ、その後ヨシイケまで買い出し。
妻の元同僚shinoharaさん逝去。私も研修時代には、ご一緒した事もあり、エレベーターなどで会えば雑談程度はしていただけに、急な経過に残念。

2007.11.9.(金)
実家、地域医療は大忙し。午後からも特養で、いんふる接種。1件往診。
ivl論文を少しづつ進める。あとは文献だ。
朝、昼は自分で作るも、自分の味付けはどうしてもワンパターンでいけない。夜はまた梢へ、カツカレーと豚汁。セブンイレブンへビール・お茶・氷の調達。

2007.11.10.(土)
午前中はギリギリまで外来。
昼より電車で金沢へ。電車では偶然にも弟yoshifumiと同じ車両の前後の席。
一緒に父の部屋へ。少し見舞って
家へ帰って急いで着替え。
 →輸血学会北陸地方会@県中
  →リウマチ薬物療法研究会@都ホテル
   →地域医療懇談会@ANAホテル
母、michiko&emi、yoshifumiと我が一家で会食@せん。
今年はね 早くも始まる いんふるよ (今年は10月末より埼玉、東京、山梨などで相次いでインフルエンザ発生で学級閉鎖)
結局今回の大連立ドタバタ話の仕掛人が読売新聞渡邉氏であることが、ほぼ明らかになった。森さん同様、この人達には「何様っ!」という罵声を浴びせたい。国民の気持ちを無視し、国民の生活の改善を遅らせ、自らが日本のフィクサーを気取るこの人達。この人達が暗躍している限りは、日本に明るい未来は来ない。

2007.11.11.(日)
朝の新聞で、chujyo先生の急逝を知る。何故? (昨日はそんな噂すら出ていなかったのに) 
朝ミハ、モモを引き連れ父の部屋へ(妻はshinoharaさんの葬儀へ)。母、michiko &emi, yoshifumiと一緒に歓談。記念撮影を。昼は地下のロンシャンで。
michiko &emiとミハを金沢駅まで送る。
家で少しいんぎらっとする。
モモがプールに行きたいと。内灘町民プールへ。2時間半ほど、ちゃぷちゃぷ
水の中 浮かび漂う 我が心

2007.11.12.(月)
外来当番。それなりに、そこそこに。
午後からも外来/病棟などそれなりに呼ばれながらも、少しづつivlを進める。
夕〜某研究会@都ホテル。ホテルinnの改築の足場が強風で崩れ、えらい事に。人の被害が出なくて良かったとは言うものの。最近の変な事件;入院中に暴力団員に間違われ誤って射殺されたり、繁華街での飛び降り自殺に巻き込まれ死亡したり。本日の金沢の事故は人的被害こそ無かったものの、一歩誤れば大惨事になりかねない。工事現場の近くは出来るだけ通らない事にしよう。
その後少し御一献。JALで鉄板焼きでステーキ/アワビなど。

2007.11.13.(火)
昨晩は早く帰宅し眠った。け ど   眠い    い 〜
H病院の外来は、比較的予約も少ない日。少し内職を。
戻ってからも、ivlを進める。
血液腫瘍カンファレンス。
当直です。あ、明日の血免セミナーの準備忘れてた〜

2007.11.14.(水)
朝一番のメールは残念なrejectメール。ウチには入れないよ、どっか他所をあたんなっ! 高望みしすぎだったかなあ。少し、引きずりつつ、仕事に入る。
外来。ほどほど忙しい。
内科系合同セミナーで、今回は血免の担当。swaski先生は造血幹細胞移植の話、私はG4の話。それなりに盛り上がる。
バレーはキューバに惨敗し、五輪出場が厳しくなる。第一セットはとったのにねえ。

2007.11.15.(木)
朝から仕事する気には、本日はなれず…
中場利一「ノーサラリーマン・ノークライ」 タイトルに惹かれて買った本。泣かないサラリーマンはいない。軸足を前に置け。勤務医だってサラリーマンだ。ノードクター・ノークライという本なら僕が書けるかな。まあ、この日記がそれに近いか?
実家の診療は、インフル接種と風邪ひきで、結構な繁盛。
守屋前次官の証人喚問で、巨悪の片鱗がほんの少し明らかに。国民の血税を億とか兆とかの単位でつぎ込んでの犯罪であり、今更愁傷な態度を見せられても、誰も納得できるもんか。防衛費など削減して、医療費に廻してほしい。
父のビリルビンが11台にまで上昇。

2007.11.16.(金)
インフルエンザワクチン接種と風邪の流行で、休む間は無い。
午後からは特養でもワクチン接種。1名重症だが、医療の適応があるか否か、ご本人の意思が無いので家族の意志を尊重せざるをえない。
CNS-ML疑いのコンサルトが携帯に入る。上越に居ては金沢の顕微鏡は流石に見れない。しかし携帯はこんな時は便利ではある。何名かの人に、こうしてあーしてと指示をする、宜しく!

2007.11.17.(土)
午前中は相変わらずひっきりなし。なんとか予定通りにワクチン接種を終え、電車に飛び乗る。
金沢駅から直接リファーレへ。
北陸臨床免疫症例検討会。伝統ある研究会を続けて盛り上げていかなければならない。毎度の事ながら非常に勉強になる会。そこらの学会の比ではない。
その後少し、ご懇親。

2007.11.18.(日)
久しぶりに自宅のbedで寝たと思ったら、もう朝。もう日直へ行かねばならない。所行無常。
考えてみるとtoyoda君とは初めての一緒の日直。病棟全症例を把握しているか確認する。結構把握出来ているので、頼もしく思う。
で、ついでにもう一仕事。電話で先日コンサルトを受けた、CNS-DLBCL(確定診断はついていないが、スタンプ所見でもう90%確定だ!)のムンテラ、指示出しに付き合っていただく。主治医を宜しくね。
これで安心しかけたところ、H病院で診ている方より突然のtel。しんどいので入院させて欲しいと。どうぞお越しください と言わざるをえまい。
そんなこんなで、自分のための仕事;論文書きなどは後廻し。臨床家の宿命。しかし少しだけでも前を向こう。
病床の父を見舞う。母は今日から上越へ一時帰郷。父も寂しかろう。とりとめもなく、世間話、雑談、思いで話、などなど。木田は我々にとってパラダイスだ、おまえにもそうだろう? その心は? なーんにも無いんだから …
夜は雪が降るらしいよ。

2007.11.19.(月)
朝、ほーんとに寒い。けど起きなきゃなんない。布団が恋しい。朝食をいただいて、ミハを乗っけて金沢駅へ。ミハ、勉強もバスケも頑張ってな。
はくたか→とき で東京へ。
野口悠紀雄「知っているようで知らない消費税」なるほど今まであまり消費税の仕組みを理解していなかった事を知る。が、難しくてなかなかちゃんとは理解できない。
じぇいこぐゼロロクゼロイチ始めますよミーティング@国ガンせんたー。久しぶりのstudy開始だけに、興味は津々。しかしIC段階で断られる可能性も高そうなstudyデザイン、特に医療費。研究者の熱意って奴で説得するしかないのでしょうね。
父のビリルビンは19にもなる。口の廻りにカタカナが付いている、と。
Maxとき→はくたかで金沢へ。

2007.11.20.(火)
朝、親父元気か〜と見舞う。ほんの一口 すら食べない。今更無理に食べさせる必要もないか。
内灘出る頃は晴天→七尾に着く頃は土砂降り。
午後からは病棟回診。皆さん元気でしたか? おとなしくしていましたか? 退院できそうな目処はたちましたか?
夕〜5学年、検鏡check。君たち、基礎的な知識が無さすぎる。
研修医カンファ。
CNS-DLBCL症例の御家族へのムンテラ。良くなるように最大限がんばります。
夕に母が金沢へ、病室へ戻ってきた。しばらく一緒に居てあげてくだい。
投稿雑誌を換えるだけで、何故にこんなにフォーマットをいじくり回さねばならないのか。次はIF7.751を目指して。当直は細切れにちょくちょくcallあり。

2007.11.21.(水)
外来予約いっぱいでも頑張るぞー 時間が遅れ遅れで、ゴメンね申し訳ないスイマセン予約がいっぱいでね本当にゴメンネ などなど ひたすら低姿勢
昼は食べ損ね。まあ、ダイエットと思えばいいか。
夕〜医局説明会(&ボジョレ−)で、簡単に血免内科についてプレゼン。マッチングで殆ど他所に行ってしまう。それでもまた帰ってくる可能性を信じて、勧誘カンユー。
あるいて帰る

2007.11.22.(木)
朝早起きし上越へ。今回はあえてPCを持っていかない。リュックだけ。でもこれで正解。
実家の診療は目一杯。インフル接種多数、近くのデイケアセンターへの往診、その他。
疲れるわ。

2007.11.23.(金)
朝父を見舞う。
その後コンフォモール内灘を見に行く。うーん。もう少し大きくいろいろに出来なかったですかね。規模的に中途半端なイメージ。
昼はカナリーロウでパスタを。
済生会病院で、内科専門医会北陸支部秋季セミナーで今回は私が当番幹事なので、G4の特集号。一般演題3題、その後にzen先生の特別講演。一部の人には啓蒙になったであろう。本当はもっと大勢に啓蒙したかったのだけれど。
それから慌てて小松空港へ→羽田へ→東京プリンスへ。
少しそのへんで… 少々焼酎を…飲み過ぎましたかね

2007.11.24.(土)
朝から既に超vomit vomit
でも強制的にシャワって研究会に参加。
ivl conference。Dr.Ferreri & Dr. PonzoniというIELSGの臨床/病理の大御所が参加される事もあり、将来のivl診療にとって重要な会。皮膚/CNS浸潤の多い西欧、HPSの多い日本という地域的な違いをどうアレンジしていくか。難しい問題ではあるが、PS3以下に対しては今後全国規模でスタディが進んでいくのだろう。PS4は北陸のプロトコールでやっていくしかないだろう。
帰りの飛行機 結構揺れて気持ち悪っ!
父は不穏状態で、結構一日暴れていたらしい。いろんな原因が考えられるが、こんな時期は仕方ない。

2007.11.25.(日)
朝、父を見舞った段階で、そろそろ危ない。血圧も低く、尿量も少なく、SaO2も低い。酸素投与と、DOA投与の最低限の指示を出す。18:52 徐々に呼吸回数が伸びていった後に、呼吸停止。父死去@18:52
話し合い、剖検をお願いする。僕たちの仕事はこういう仕事です。父も分かってくれるし、僕自身もそうしてほしい。
こんな日も当直というのは因果な仕事。皆様気を使っていただき、当直を代わりましょうかと。しかし、明日から1週間は空ける事を考えると、今晩中に出来るだけの事は片付けておく必要あり。
父を霊安室へ。一晩お休み。

2007.11.26(月)
朝、業者の方にお越しいただき、車で父を上越へ。やっと帰れるよ、木田へ。
昼近く実家へ到着。父を医院の待合室へ安置。本当は2階に上げてやりたかったけど、重いし、階段も急なので、ここで勘弁。穏やかな顔をしている。
親戚が集まってくださって、いろいろと世話してくださる、多謝。
セレモニー会館の方に、今後何をどうしてどーやって何たらかんたらを教わる。全然分かりませんべえ。

2007.11.27(火)
13:30バスに乗って、セレモニー会館へ。いろんな方々にペコペコ星人。
お通夜は18時から。焼香が進む。そして、喪主としての挨拶。雛形どおりの挨拶だけはしたくなかったので、パラダイスのエピソードを盛り込む。
多くの方々に参列いただき、タイタニック効果で涙が浮かぶ。

2007.11.28(水)
早々にセレモニー会館へ。
11時集合写真。
11:30葬儀開始。開始前に再びタイタニック効果。
喪主の挨拶。今回は父の生い立ち、闘病について語る。
出棺。ここでも喪主挨拶がある事を忘れていて、少し焦る。
斎場で送り出してから、母、弟とお寺参り。
再び斎場へ。お骨を拾う。
16:30お斎(初七日法要) ここでも挨拶。もしゅもしゅの仕事はこれでやっと終了?

2007.11.29(木)
通夜葬儀の疲れも残ったままだが、実家A医院の診療を。インフルワクチンの予約などもあり、休むのは簡単ではない。休めない。
午後より桑取のデイケアセンター他へ出張ワクチン接種。
戻ってきて、大問題が発覚。父TのA医院は父の死をもって終わりで、それ以上の保険診療は出来ないという… 医師会館へ事情を伺い&説明へ
途方に暮れる。言われてみれば、それはその通り。しかし、実際何も考えていなかった!

2007.11.30(金)
朝一番で、A医院閉院の張り紙を表玄関に張り出す。自分の意志で決めた事とはいえ、辛い っ  !
実家の診療・ワクチン接種など続けつつ
常連の患者さん達には、年末には閉じますと説明し、行き先を決めていただき、必要なら紹介状を。
どういう方策がいいのか? 医師会、税理士、様々な方々にそーだんねん! 普段使わない脳を使い、かなりパニック どんだけ〜 
午後より特養S園へ。ここでも、本年一杯で止めさせていただきますという挨拶。
大毅&朝青龍ダブル謝罪会見の日。折角会見しても… リスクマネージメントの専門家に言わせると、冒頭の挨拶が最も重要らしく、二人のように「お騒がさしまして、申し訳ありませんでした」というのは、言ってはいけない禁句なのだそう。「誰に」対して「何を」謝罪しているのかが、明確でないと、謝罪会見としては不合格なのだとか。それでも、今回は素人目には、朝青龍は80点、大毅は0点(むしろマイナスで、やらない方がまし)と思う。スポーツライター二宮氏の、ここまできたら徹底的にヒールに徹するべしというのは、別の意味で面白い意見。